ヴェネチアの恋人たち

『ヴェネチアの恋人たち ー ジョルジュ・サンドとミュッセ』シャルル・モーラス、後藤俊雄訳(弥生書房、1972年刊)

    Charles Mauras(1868-1952)のLes Amants de Venise−George Sand et Musset(1902)の翻訳。著者のモーラスは、政治機関紙『アクション・フランセーズ』を主催。『君主制に関するアンケート』、『知性の未来』の著 者。ナチスのヴィシー政府を擁護したため、第二次世界大戦後に終身禁固刑に処せられる。1952年に健康を害して、ツールの病院に移され、そこで死去。訳 者の後藤俊雄先生は故京都大学名誉教授で演劇、ミュッセの研究家。訳者によると「ロマン派の若き天才詩人ミュッセと美貌の閨秀作家ジョルジュ・サンド–史 上に名高い二人の恋をあらゆる文献と証言を駆使して精緻に分析するとともに、その恋のドラマを心内の舞台で再演することで読者を現にいたましい悲劇に直面 させる。深く人間の心の本質に迫る本書は二人の傑作に劣らぬ文学作品と言える。」彼と彼女の人物分析から始まり、1834年、2月ヴェネチア、ホテル・ダ ニエリでの出来事を中心に据える。ミュッセの病気。イタリア人医師パジェロの登場。ミュッセは病のさなかで「衝立の向こうで二人が接吻している」と想像し た。「それはあまりにも真実だった」そのために「彼の躁暴性精神病が爆発したらしい」「六時間の狂気」とサンドが手紙に書くほどだった。またミュッセの 『世紀児の告白』の最後の部で、自伝的と一般にみなされる箇所に茶碗の挿話(同じ茶碗で二人がお茶を飲んだか?)が出てくる。これについては、1896年 カバネス博士がパジェロと交わした会話や、パジェロの日記『両世界評論』のビュローズの証言をあげ、茶碗の挿話が決定的なものであるとしている。また、 ヴェネチア沖のサン・セルヴィリオ島について、サンドの『ある旅行者の手紙』第三信、「島は狂人と廃疾者で占められている」を引用。1834年にミュッセ が書き留めた「君の医者のところへ駆けつけて、ぼくを気ちがいにしたてようというのだ」という文に結びつけ、彼女が狂気に追い込んだとしている。サンドと 医師がミュッセを看病したことも事実だが、サンドが自己弁護のために彼の狂気を利用したとする説である。作品や手紙、詩、証言などを引用しながら精密に分 析している点、サンドには手厳しいが説得力がある。(文責 平井知香子)