今、19世紀フランスの宗教に関する本を少し読んでいます。私自身は特定の宗教の信者ではありませんが、近代ヨーロッパに生まれた「人類教」とでも呼べる死生観に共感するところがあります。それによると、「人類」はひとかたまりの大きな生命体で,一人一人の人間はその一部であり、死ぬと本体に回収されるのです。「人類」は「完全」をめざして永遠に前進し、個々の人間が本体から生まれ、成長し、死んで本体に回収されるということをくり返していきます。私たちの人生(永遠の時から言えばほんの一瞬です)で得た知識や記憶は文化、伝説,芸術等の形で,あるいは様々な技術の助けで蓄積されていくのだということになります。
私は、この大きな「人類」も永遠に生きるわけではなく、どこかの時点で生まれ、成長し,やがて死ぬのだと考えますが、それはちっぽけな一人一人の人間の想像もできないような長い時間の話です。そのように思うと、死ぬこと自体はそれほど恐ろしくはありません。死ぬ前の身体的な苦痛が怖いのです。それを除けば、見知らぬ国を旅する人のように、この世のたくさんの物事を見て、多くの人々と出会い、何らかの関わりを持ち、やがて別々の方向に別れて行くことを自然に受け止め、この短い生を楽しむことができるような気がします。そう思うと同時に、全世界の人間がやはりできるだけ穏やかで満ち足りた生活ができるようにするために、自分に何ができるか考える今日この頃です。