終わりの予感 ―『コリンヌ』のヴェネツィア

スタール夫人が1807年に出版した『コリンヌ、あるいはイタリア』の主題について考察したあと、ヴェネツィアでのエピソードについて検討する。これは小説の後半の山場であり、イタリアにおける主人公たちの物語がひとまず終わって、その後の破局に向かう直前のエピソードである。スタール夫人がヴェネツィアを訪れたのは1805年、すでにオーストリア占領下の時期であった。また、その年にはナポレオンがローマ王として即位し、フランスがイタリアに厳然たる影響力を行使していた。多くのイタリア通のドイツ人から学び、また教養あるイタリア人の知人も多かった1805年のスタール夫人は、未来のことはともかく、イタリアの近い過去についてはかなり明晰な判断を下すことができる立場にあった。彼女が『コリンヌ』の物語を展開した1795年は、多くのイタリア人たちの間でナポレオン・ボナパルト将軍が知られ始めた年であり、ヴェネツィア共和国にとっては、2年後の崩壊の予兆がありながらも何とか平穏を保っていた年であった。北と南の接点(もうすぐ北に呑みこまれるわけであるが)であるだけでなく、東と西の出会う所、陸と海の文字通りの境界に位置する当時のヴェネツィアは、『コリンヌ』の舞台となるローマ、ナポリ、フィレンツェなど他のイタリアのどの都市よりも主人公ふたりの別れの場、まもなくやってくる恋の終わりを予感させる場として適切だったのであり、また、スタール夫人が共和政についての考察、民衆や女性の置かれた状況について自分の意見を述べるのにも好都合な都市であった。